【柔術みちしるべ ~体捌きのこと2~】

【体捌きのこと2】

 文武塾道場としてスタートした当初は稽古日にもだれも生徒さんが来ず、ひとりぽつんといるということがちょいちょいありました。

 せっかく場所を借りているのだからと自主練的なことをみっちりやろうとは思うのですが、受身や当身の素振りばかりしているのもさすがに飽きてしまったので「体捌きを一人稽古でできないものか?」と考えて、本来相対型の基本技型を、相手をイメージしながら独演型のように黙々とくりかえし練習してみていた時期がありました。

 びしっ!びしっ!とキレよく格好良さげに動いて自己満足というか寂しさを紛らわせていたわけですが、だいぶ動きがこなれてきて「これは良いかも!?」と自信を持てたと思っていた矢先、生徒さんが稽古に参加してくれた時には一人稽古の成果を発揮するどころか、むしろ以前より技の効きがモヤッとしたダメダメのレベルに退化してしまっていました。

 そんなことを何度かくりかえしているうちに、ようやく八光流柔術の型で学んでいる体捌きは『自分(取)と相手(掛)の身体の関係性を捌いている』ということと、やはり『当たりを捉える』ことが大前提としてあってこそ成り立つものだということに気づかされました。

 相対型から形だけトレースして独演型のようにして動きがこなれても、それは結局のところ体捌きとは異なる『独りよがりの運動』でしかなく、八光流柔術の現実からはかけ離れたものでしかありませんでした。

 これが空手道や拳法や居合道の独演型のように、そもそも独演型として練り上げるために流派流儀のカリキュラムとして制定されたものなら害は無いのでしょう。

 しかし八光流は柔術(陰の術)の流派流儀なので、取(陰)に対し攻め方がしっかり掛(陽)の立場をやってくれるからこそ体感できて学ぶことができるということが初伝・中伝の基礎に確固としてあり、日本伝統剣術の組太刀のように相対型ありきだと認識することが学びの根本として必要だと思います。
 そしてこの認識が文武塾の稽古スタイルでもあります。

 もちろん単独・独演で練習することで効果のあるものもあります。いくつかありますが代表的なのは二段立技『後二方投』の足の運びで、この運足は日常生活ではまったくありえない動きをするので、ひとりでくりかえし動いてみる練習をするのはかなり効果があります。

 ただしそれも体捌きの内の運足の練習でしかないので、体捌きそのものの学習や理解のためには基本技型での相対的な稽古が不可欠ですし、実地教伝の場でしかお伝えできないものばかりです。


 今回は二回にわけて八光流柔術の型稽古における体捌きの大事について述べてきたのですが、念のため一言述べておきたいことがあります。

 他流・他武道・格闘技などの練習における組手・乱捕り・かかり稽古・スパーリング等においても、学び修得し錬成できる『体捌き』というものが間違いなくあります。

 それらで学ぶ『体捌き』も格闘の実際の現場でとても有効であり、その実績について疑う余地もありませんし、型稽古での『体捌き』との優劣を競うのは不毛だと思います。
 そこからわかるように『体捌き』は型稽古の専売特許のようなものではありません。

 型稽古や武術・古流柔術的な『体捌き』を、やたら高尚なものとして有り難がれば、とり返しのつかない妄想的な心の囚われになりかねません。

 格闘技的な『体捌き』も柔術(陰の術)的な『体捌き』も、人間vs人間の攻防においては「当たり前のやりとり」のそれぞれの極みの一端だと理解認識しておくことが、護身のための武道としては絶対に必須だと思っています。

 ……個人的にそうは思いつつも、ただひとつだけ加えて述べておきたいことがあります。

 それは型稽古における『体捌き』は身体的・体力的な負荷や負担がとても小さく少ないので、体格や体質や身体のハンデを問われずに、老若男女平等に一生涯かけて学び続け、向上していける武道としての楽しみが開けているということです。

 このことだけは八光流柔術の皆傳師範として、八光流柔術のアピールポイントに挙げておきたいと思います。

スポンサーサイト

テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

| 柔術みちしるべ

«  | ホーム |  »