当身のこと

 私的な経験の話ですが、初めてお会いしたひとに自己紹介するとき「柔術をやっています。師範の資格も持っているので指導もしています」とお話しすると、よく「あの馬乗りになって殴ったり、寝転がって闘う格闘技ですね」といった反応が返ってきます。
 一般の方達に柔術と話すとブラジリアン柔術を連想されることが多いです。
 しょっちゅうそんな感じなので、日本の武道としての柔術のイメージはまだ世間一般にまったく定着していないのだなと、暗鬱としてしまうこともあります。

 もう少し日本の武道に詳しいイメージを持つひとに話すと、合気道や合気柔術のイメージで「力を使わずに関節を極めたり敵を投げ飛ばす武道」という感想が返ってくることもあります。
 まぁ、当たらずとも遠からずなイメージなので、とりあえず「えぇ、そうですね」と同意してしまいますが、「力を使わずに関節を極めたり敵を投げ飛ばす武道」といった合気的イメージの武道を求めて入門されたひとの場合、そのままでは大事な部分を見落としてしまいかねないので、早いうちからそのイメージを書き換えるよう働きかけることにしています。

 力を使わないという大前提も、関節を極めたり投げ飛ばしたりも、純粋に『身を護る術(すべ)として有効』だからやっている手段であり、それが目的なのではないということ。
 『身を護る術』を修得することが八光流柔術を学ぶ最初の目的なので、そのためには有効な手段である経絡を攻める技法も大事ですし、なによりもまず攻撃・反撃の手段としての『当身(あてみ)』を学び、習慣づける必要があります。

 たとえば投げ技は八光流柔術でも花形の技ですが、「力を使わず、自分より大きな人間を格好よく投げ飛ばせるようになりたい」という欲求で八光流柔術を学んだとしたら、本末転倒とんでもないまわり道、時間を無駄に浪費することになりかねません。

 白状すれば私自身、名人の先生達の技の見た目に憧れて、「もっと投げ技にキレや冴えを出したい!」と気持ちが偏重していた時期がありました。

 そんな欲求にとらわれて稽古をしていた期間は、結局たいして上達することはありませんでした。

 むしろそれに懲りて、抑え技・決め技(本逆)・経絡攻め(雅勲)・当身など全般にわたって苦手が無くなるように努めるようになって以降のほうが、投げ技にも冴えが出るようになってきたと感じます。

 とくに当身については、その護身の技としての即効性だけでなく、抑え技・決め技(本逆)・経絡攻め(雅勲)・投げ技など全てに共有される理合が含まれていることがわかってきました。
 ですが、初学者のうちからその理合をひとつひとつ詳しく解説しても煩雑に感じさせ、むしろ悩ませてしまうことにも気づいたので現在ではとにかく当身を条件反射的に習慣づけることを、まずおすすめしています。

 柔術が「力を使わずに関節を極めたり敵を投げ飛ばす武道」というイメージが強いままだと、どうしても当身がおろそかになりがちなので、「当・極・投の三位一体が柔術」というイメージに書き換えていただけたらと思います。

 そして八光流柔術は八光流としてしっかりと理論確立された武道ですので、まず基本型に出てくる当身技の意味を理解し稽古することが第一歩です。

 当身について他流の当身や他の格闘技の打撃技から技を移植したりはしないこと。
 
 全伝を学んだ皆傳師範ともなれば各々の課題として他流の研究にも取り組むのは良いことだと思いますが、学びの途中の黒帯有段者は他流の当身や突き蹴りなどの打撃技を八光流の稽古に混合してしまうと、八光流柔術としてまず修得すべきことの見落とし・抜け落ちを犯してしてしまうことがあるので、すでに他流を学ばれた経験のあるひと(私も他流からの転向者なので、この過ちや苦労をした方だと思います)は、よくよく注意したいところです。

 次回からしばらく基本型に表れる当身技について、『柔術みちしるべ』なりの考察を述べてみたいと思います。  

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