稽古に臨んで

 この【柔術みちしるべ】では、型稽古および個々の技について分析的な読み解き方をしていますが、実際の稽古に臨む際にはこのような分析結果を意識する必要はありませんし、【柔術みちしるべ】で述べる内容を理解して覚えなければならないと義務に感じるべきものではありません。

 学ぶ側の人には、ただ素直に目の前の課題をひとつひとつ解決すべく、焦らず弛まず欲張らずに稽古を継続するように心がけてもらえれば十分だと思います。
 分析的な取り組みは、私たち伝える側の師範が学ぶ人の課題解決の助力となれるように指導の引き出しを増やし、伝えるための知恵を拡充するための手法のひとつであるにすぎません。
 師範という立場になれば「自分の得意なことしか教えない」「自分と感性の違うひとには教えられない」などというのは問題ですから、流派としてのカリキュラム全体についてできるだけ過不足を無くし、様々な学ぶ側の要求に答えられるようになりたいと思っています。

 八光流柔術も現在では様々アプローチから広く紹介されていますから「簡単な護身術として求めているひと」「健康法として期待しているひと」「身体運用の知恵として期待しているひと」「武術としての実戦力を求めているひと」「身体的および精神的なコミュニケーションスキルのひとつとして期待するひと」等々、学ぶ人の要求も多様化しているようです。
 そのようななかで文武塾では八光流柔術をまず「護身武道という教養として修得する」ことを最優先にしてもらい、それが叶った上で健康法なり身体知なり武術性なりご自分の目指したいことに邁進していただければとの意図で、「護身武道という教養として修得する」ことに最適な手段として型稽古を推奨しているところです。
 昔日の厳しい武術の稽古の「一度教えて覚えられなかったら二度と同じことは教えない」というような指導法はしません。何度同じことを間違え失敗したとしてもかまいません。何度でも同じことであろうと指導します。
いつもお話ししていますが、同じことを注意され指導されるそのことで自分はダメだとか向いてないとか落ち込む必要はありません。同じことをいわれて「あっ!?またやってしまった!」と思った時が一番心底自分の課題に気づける瞬間でもあり、上達への一押しをかける好機だからです。そのチャンスに上手く働きかけることができるかどうかに苦心し、準備を整えて待っていなければならないのは師範の側の仕事です。

 以前、まだ八光流柔術で師範許可をいただいて間もなくのころ、ある社交ダンスの先生から聞いた忘れられない話があり、それは「仕事としてお金をいただいて指導しているからには、生徒ができないのは先生の責任。生徒さんは悪くない。生徒さんの側の問題にするようならプロじゃないです」という一言でした。

 私は生業として八光流柔術を教えて生活しているわけではありませんが、指導してお金をいただいていることに変わりはないので、この一言はずっと忘れてはいけないと思うのです。
 皆傳師範としての自分ができることと同じレベルのことを要求せずに、初心者には初心の基礎として必要なことを、中級者には初心からレベルアップできるように一押しできるための内容をできるだけ最適なタイミングで提示できるようにしたいと考えています。
 時折、「いずれ師範や皆傳師範ともなると型どおりにやらなくても、こんなことができるようになります」と軽く触れただけで崩したり投げたりの応用をお見せすることも多々ありますが、それを目標として真似することのないようにご注意願います。あくまで腕力や体捌きの移動力(運動エネルギー)ではないことの証明のために示しているだけなので、八光流柔術として目指す境地ではありません。

 焦らず弛まず欲張らずに目の前の課題に取り組んでいただければ、教養としての護身武道のレベルに最短で確実に至れるよう編まれているのが八光流柔術だと思います。
 最短で到達できる分だけ浪費しなかった分の時間や労力は仕事や家庭に向けるなり他の趣味や楽しみに振り分けて人生を満喫していただきたいと思いますし、あるいはさらに武術としての奥深さに足を踏み入れる(師範や皆傳を目指す)というのも楽しみ方のひとつですね。

 気張って深刻な気持ちで稽古に臨むよりも、八光流柔術は人生のために武道を活かす目的意識で稽古に臨んだほうが、確実に稽古しただけの成果を毎回持ち帰れますので、課題にぶつかるのも、またひとつの楽しみと感じられるようなサポートができるように今後もなお努めていきたいと思います。

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テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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