持廻のこと

 八光流柔術の三段技で学ぶ『持廻(もちまわり)』と呼ばれる技法群があります。この持廻はいわゆる逮捕術・連行技といった内容なのですが、相手を投げたり本逆で極め落してしまうのにくらべると、いささか手間がかかる印象があります。
実を言うと私は、師範許可取得以前はこの持廻系の技が大変苦手でした。
 残念ながら今でも得意と言えるレベルには至っていないのですが、不謹慎な話ながら師範になる前は「何故こんな面倒くさいことをする必要があるのだろう?」と内心嫌々稽古していた時期すらありました。

 三段技で学ぶ大きなテーマは二つあるとされていて、それが雅勲(経絡攻め)と持廻です。習い始めの当時、雅勲のほうはそこそこにできるようになった(と思い込んでいた)のですが、持廻はどうにもモヤっとして効いている手応えもなく、すっきりせずに騙し騙しやっているような感じでした。そのころは八光流の全体像も知らず、二段技の本逆の技は得意だと思い込んでいたので、「二段技と雅勲さえやっておけば十分じゃないのか?」という勘違いの領域に片足を突っ込んだような、今になって想うと恐ろしい状態だったこともあります。

 しかし、師範教伝から皆傳・三大基柱そして皇法指圧と学びが進む過程で、持廻系の技に込められた意味に気づくにしたがい、それまでの持廻への認識は塗り替えられていきました。

 また師範という立場になってからは、「よく知らない・上手くできないから教えられません」とか「できる師範に教わってください」などというわけにはいきません。また自分が持廻が下手なせいで、自分の生徒門人さんたちみんな持廻が上手くなれないような環境をつくってしまっては師範失格だと思いました。
 「なんとか、師範と名乗って恥ずかしくない程度には持廻の精度を上げなければ!!」その危機感に煽られながら、先輩師範たちに質問してくりかえし手直ししていただいたり、古参の先生方の持廻を熱心に観察し研究したりしました。

 文武塾の最初の生徒さんが二段に昇段して三段技の教伝に進んだころには、どうにかこうにか正解にそう遠くない持廻をお伝えできるようになりましたが、むしろ生徒さんが三段技に進んでくれたお蔭で持廻はその後からぐんぐんと学びが深まりました。

 三段技で学ぶ大きな二つのテーマは雅勲と持廻と述べましたが、個人的には実は二つのテーマで二つの技法群を学んでいるようで、本当はもっと大きくて深い一つのテーマを雅勲と持廻で表と裏のように補完しあいながら学んでいるという実感があります。
 手の内のソフトタッチ、姿勢と力を棄てること、正中線と目付、そしてここには書けない重要なことを含め、すべてがある一定以上の水準に達していないと持廻は上手く効いてくれません。なので、持廻系はどの技も毎回気が抜けません。ですが難儀しながらもあきらめずに丁寧にくりかえし持廻を稽古していたら、他の技も押し並べて少しずつ向上がみられてきています。

 持廻が改善されつつある今振り返ってみると、持廻を騙し騙しやっていたころ得意だと思っていた本逆や雅勲は実は自分のやりやすいように自覚なく誤魔化してした偽物の技だったのだなと思えます。
私が八光流の型のカリキュラムはできるだけ偏らずにすべてを練習した方が良いと、くりかえし推奨するのはこういった自分自身の経験からのことです。

 昔は実戦で使えるか使えないなどを技の価値基準にしていて、偉そうに型を上から目線で批評しているようなところが自分にはあったと反省しています。
 使う機会の有る無しにかかわらず、流派のカリキュラムに入っているということは、それには必ず何か学ばなければならないものが含まれているということです。それを学ばず修得せずにいたのでは、流派の価値のすべてを知り得てはいないと言えるかも知れません。
 そういったことを痛感させられたのが、この持廻という技法群でした。

 まだまだ自分の基礎たる地面は癖で凝り固まり凸凹しています。持廻系や雅勲系などに取り組みなおすことで地ならしをしている真っ最中です。これをまっさらな更地になおしてから、また基本を精密に一つずつ積み上げていくことになることでしょう。
 実戦で使えるか使えないなどを技の価値基準にして失敗してやり直してきた轍を自分の生徒門人さんたちに踏んでほしくはないので、今回は自分の恥ともいる話ではありますが述べてみました。

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テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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