続・八光捕のこと4

 護身術講座などの講師をさせていただくときは、まず手解きとして八光捕を受講者のみなさんに紹介してやってみていただくのですが、正座がつらいというかたもいるので、毎回立っての八光捕になります。

 多くのかたは「えっ?こんなに簡単にはずれるの!?」と驚くのですが、だいたい一講座に一人くらいの割合で、

 「これでどうだ!!」

 と言わんばかりに、腰を落としてしがみつくように体重でのしかかって掴んだ手をはずされまいとするひとがいたりします。

 (それだと金的ガラ空きだから、蹴りあげられたら一発アウトなのになぁ……)

 と内心思いつつも、師範としてのメンツを守って八光捕として手をあげてみせています。

 ともかく、このようなケースでは、もうすっかり手解きの練習の目的を見失ってしまっています。

 手首を掴むという行為は、手首を掴んで離さないために掴むわけではないことは当然ですね。

 そもそも手首を掴むのには、
・引き倒して覆い被さる。
・引いて振り回す。
・逃げられなくして蹴る。
・引き寄せて頭突き。
……などなどの、次のアクションの布石として行っているはずです。

 そうされる前に手を解いて当身などで反撃して逃げるスキやチャンスをつくろうというのが護身術としての手解きの目的で、手首を掴んでくる力を逆に利用して相手を制してしまおうというのが武術としての八光捕の目的です。

 また武術的には、なにがなんでもと八光捕の手を解くという形にこだわっているわけでもありません。

 お亡くなりになられた実戦名人の先生から以前うかがった話ですが、昔々あるときに先生が柱に背もたれながら胡坐をかいてくつろいでいるとき、いきなり不意をついて両手首をがっと掴んで全体重をかけてのしかかり「さあ!どうだ!」と挑戦してきた無礼なひとがいたそうです。

 そこで先生はどうしたかというと……

 「足あげて、顔を足蹴にしてやったわい」

 とのことでした。当時は若かったから足が高くあがったんだなぁ~と笑っておられましたが、居着かない心持ちと臨機応変な対応の手本みたいな話だなと感心した想い出があります。

 武術的には、両手を掴まれたら八光捕なり、なにかしら技をしてくるものだと思い込んで、押さえつけて耐えることにこだわった相手が悪いですし、うかつだったとも言えます。
(稽古でもないし、いきなりの無礼だったからと躊躇なくすぐさま顔を足蹴にするという判断は先生らしいとも思います)

 これは少し極端な話でしたが、八光捕に限らず形にとらわれないという『技を活かす』ためにも、逆説的のようですが型稽古で下地作りをしているということは知っているべきことだと思います。

 たとえば型稽古によって、考えずともひと通りの型がすらすらと動ける程度に手筋が習慣化していると、手首を掴まれるというケースひとつとっても、手をはずすということにこだわらずに掴んできている相手からの圧力(押したり、引いたり、開いたり、絞ったり)の方向に挑まず逆らわず手をひるがえすだけで、
・手鏡
・松葉捕
・手刀締
・片手押綾捕
・引投
……などなどの技のような、それっぽい形に自然になるように非常に上手いこと八光流の技の変化の構成はできています。


 相撲の決まり手のように結果を必ずなにかの技に分類する必要はないわけです。身を護れさえすれば良いわけですから。

 護身の際は、「○○の技をかけてやろう!」などと狙うわけではありません。

 それではまるで試合のようです。

 八光流柔術は、八光捕の『挑まず逆らわず傷つけず』の心持と姿勢で一貫してすべての型を稽古するようにつとめることがまず大事です。

 そうしていると変化応用の手筋も自然と身に付くカリュキュラムに作られています。

 そしていずれは、技そのものにもこだわらずに名人の先生のように普段蹴りなど練習していなくとも、足が空いていれば足で対処するという対応力も生むのも、また『挑まず逆らわず傷つけず』という三大原則の発想によるものだと思います。

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テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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