【柔術みちしるべ ~掛の稽古1~】

【掛の稽古1】

 前回までにて、八光流柔術の稽古における掛の役割は『取の技を潰す・封じる』でも『取の技を受け入れる』でもなく、『取に正しく攻め掛かる』ことだということを説明してきたつもりです。

 ただそれだけですと、掛はただ取が技型を効率よく修得するために、ひたすら献身的に身体と時間を取にさしだしているような印象をもたれるかもしれませんが、そうではありません。

 文武塾の場合はどうしても稽古日数が少なめになってしまう現状なので、私が生徒さんとペアになって型稽古する際は、できるだけ術理のとおりに技がかかった感触をたくさん味わってもらうために、生徒さんの取が7~8割で2~3割の私の手番の取も生徒さんの技で修正すべきポイントを提示して生徒さんの現状のやり方(悪い例)と、こうであってほしいやり方(良い例)を両方やってみせて体感してもらい、何故そういった違いが生まれるのか?ということを解説するというスタイルで稽古しています。

 これだと私は指導・教伝ばかりで、自分の稽古を稽古時間の2割ぐらいしかしていないように思われるかもしれませんが、実を言えば掛をつとめて『取に正しく攻め掛かる』ことで自分の稽古もしているのです。


 話はさかのぼりますが、八光流柔術に入門してまだ2~3年のころは驚くくらい力を使った感覚が無いのにズバッと技が効いたという現象は非常に稀なケースでしかなく、無意識のうちに腕力やら体重やらがでしゃばっていて御年80歳を過ぎたお爺ちゃんである師匠に技が効かないということばかりでした。
 力みのドツボに嵌まるとひとつの技で30分も効かないまま腕力でギチギチやっていたりということもあり、流石に堪忍袋の緒が切れたのか

「だから違うんだでっ!!!」

という一喝とともに、返し技で障子戸にぶち当たりそうになるほど吹っ飛ばされて、

「そだに吹っ飛ぶのは身体じゅうに力が入ってっからだ!!」

と追い討ちでお叱りを受けたことが何度かありました。

 そんな時、「目で見てなくても、力が入ってっところはわかる。ソコをひっくり返しちまえば返し技になるんだ」とも言われましたが、その当時は意味がよくわかりませんでした。

 自分が指導・教伝する立場になった今では、師匠に言われたこともなるほどこのことかと思い当たります。

 八光流の基本技型は取りにとって断然不利という想定ではじまるものが多いとは以前にも述べましたが、その状態からでも掛がしっかり攻め掛かっていれば取が素直に力を棄ててアクションを起こすと、取が白帯さんだろうが体験で来た小学一年生の小さな女の子だろうが見事に技を決めることができるように作られていると今までの実地経験によって確信しています。
 しかし、どこかしら力が入ったり姿勢が崩れたり挑む気持ちになってしまうと、途端に効きがいちじるしく鈍くなってしまいます。初代宗家は教本や著書で「八光流の技は腕力では絶対に効かない」と断言していますが、本当にそうなのだと思い知る瞬間でもあります。

 掛としてしっかり攻めていれば、そのうち取が力んでしまうとその力んだ部位がどこなのかがダイレクトに伝わってきてわかるようになってきます。
 ・接触した部位そのものの緊張・肘の突っ張り・肩~首の硬直・腰の丸まりや反らせ過ぎによるのしかかり・臀部や股からの押し込み・後ろ足の突っ張りによる蹴り込み……等々
 つまり掛をつとめながら『当たりを捉える』訓練とすることができるわけです。

 危ないので私は返し技をすることはほとんどありませんが、上級者相手に厳しめに型稽古をする時はその力んでぶつかり当たってくるところを止めるようにすると、全力で抵抗しなくても師匠と同じように止められるようになりましたし、自分が取として技をかける時も体験の方や護身術講座で初めてお会いした方がむきになって掴みかかってきても、その力んでぶつかり当たってくるところを動かしてしまう返し技と同じ感覚のおかげで難なく対処できたということも度々あります。

 もっとも、師範同士の稽古になると暴漢のような力みで偏った攻め方ではなく、護身術的というより武術的なフラットで慎重な攻め方になるので、技型の精度そのものを磨いて行かなければなりません。
 そのため今回述べたことはあくまで初歩~中級の基礎的な内容ですが、基礎無しで奥伝の真似事をしても結局は生兵法になってしまって時間と労力のムダですから、『急がず、弛まず、欲張らず』に初歩から堅実に掘り下げ、そして積み上げて行くことが大切だと思います。

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テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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