【柔術みちしるべ ~後逆首〆捕のこと1~】

【後逆首〆捕のこと1】

*注 掲載写真の型や形には行き届かないところがあり、正伝の技とは異なる点も多々ありますので見本となるものではありません。
 また師伝によって技の形・解釈にも差異があり、あくまでも文武塾式のものであることとご理解ください。


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 再掲写真の1では、本気でがっつりと首締めをされたときは初段首〆捕と同じく気道確保してからとなるのは前回述べたとおりです。今回は手首を掴まれた側の腕に着目してみます。

 まず目につくのは、やはり基礎中の基礎「八光にひらいた手」でしょう。

 再掲写真1では首締めよりも腕のへし折りを意識しての攻めになっていますが、これに対し手を八光にひらくことで初代宗家が教伝本で「力を棄てて手を八光にひらけば、他流のいかなる逆技も効かない」と豪語していた内容が練習できることがわかると思います。

 怪我に十分注意してためしてみるとすぐに実感できますが、ただ力を抜いただけでしぼんだ手や腕力で突っ張ってひらいた手では、膝を支点にした攻めにはあっという間にへし折られてしまいそうになります。

 「八光捕で防ぐ」とか「八光で止める」などと言われる口伝がもっとも必要になるシチュエーションのひとつであることは間違いありません。

 つぎに気になるのは、へし折りを防いだあとには手を我が身に寄せてきて雅勲のセッティングに入るのですが、この寄せ方についてです。

 仮に掛がへし折りを手加減しているとか、腕力だけでもなんとか掛より勝っていればへし折りを防げても、腕力による腕の屈曲運動で寄せてこようとすると支点になっている掛の膝に自分から肘上の急所を押しつけていくことになってしまい、自分で自身の肘をへし折りするのとおなじこととなって痛くてとても寄せられるものではありません。

 手指はぱっとひらいていても腕には力の入っていない正しい八光にひらいた手だからこそ、収縮するようにひょいっと自分の中心前に寄せてくることができるのです。

 また正しい八光にひらいた手になっているということは、それだけで掛の手之内越しに掛の力の出所である中心軸の『当たりを捉える』ことが、ようやくできているということでもあります。

 この『当たりを捉える』ことができないと「八光捕で防ぐ」とか「八光で止める」という口伝は理解体得できません。

 また目付についてですが、再掲写真1では掴まれている手首を見ているようですが、実は肩越しに視界の端で掛の胴体を見るようなつもりでいます。これは掛がへし折り重視なので腕で組み付いていないため、接触面が小さく当たりが捉えにくいためです。
 『当たりを捉える』には対象である中心軸・正中線を目でも捉えるのが初歩のコツです。実際には後ろの相手の中心軸は絶対に見えませんが、中心に向かって意識を向けるという心の働き(心的作用)は他の技法でも活きる訓練になります。

 後ろを見ようとして首をねじりすぎるのは間違い。
 力みのもとになりますし、本気でがっつり首締めにこられたときには気道確保の形が確保できないので通用しません。

 首締めで奥襟深く手を入れられ、がっつりと組みつかれるとまったく後ろは向けませんが、そのときは接触面が広くなっていますので、前を向いたまま『初段立技 後攻落』と習ったのとおなじ要領で当たりを捉えるようにします。
 これができない場合は『後攻落』に立ち返って、真後ろから密着されたときの当たりを捉える練習を改めてトライしてみてください。

 また、しっかり掛の膝でストッパーをかけられると掴まれた手が寄せられないという場合は初段技の『手鏡』や『半立技 (椅坐)諸手押捕』などで、腕力の屈曲運動がまだでしゃばってしまっている可能性が高いです。

 二段まで昇段して三段技で後逆首〆捕を習うと、二段までにてやっとできようになったと思っていたことが、実はまだ本当にはできていなかったということを突き付けられて落ち込みそうになるかもしれません。
 ……ですが、こう考えてみてはどうでしょうか?

 できていないことに気づけるのは絶好のチャンスです。できていないのにできているつもりになってしまう大きな落とし穴を、幸運にも回避できたことは間違いありません。

 型というものは手順・形が決まっているだけに実戦で使える使えないとかの理屈以前に、自分自身の術理の理解体得がいまどれほどのものなのか?という確認と検証の必須のツールなのだと受け止めてください。

 もちろん型には今回の背後からの首締めに対する対処法の考え方のように、戦いの手筋的な教えも多彩に盛り込まれています。

 それらをふまえて考えれば、八光流柔術に限らず型でもって伝承する武道・武術の流派流儀では、型の履修・検証・熟練を積んでいないのなら、相手を崩したり投げたり打ったりという現象だけ練習してそれらだけ上手くできるようになったとしても、それは流派流儀の本質は何ひとつとして学び伝承していないのとおなじことのように思えます。

 護身や実戦にさえ使える技であれば、流派流儀の伝承がどうのこうのは関係ないという個人的立場での学習スタンスも、ありはありでしょう。
 ただ、三段位ともなれば一般技の最上位でもあり流儀の基礎課程は修了したという立場でもあるので、三段まで修了したひとには流儀の黒帯を締める責任感のようなものはもってもらいたい。……というのも私の個人的希望です。

 その意味でも、三段技にこの後逆首〆捕のような難しく手応えのある課題が配置されているのはとてもありがたい事なのではないかと思うのです。

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テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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