【柔術みちしるべ ~教えないと……~】

【教えないと……】

「教えないと上手くならない」

 数年前、私が本部での師範教伝と師範許可式を終えて福島に帰るさい、本部の師範方にごあいさつしていたときにとてもお世話になった先輩師範から別れ際に言われた一言です。
 福島に帰ったら、また師匠と私のふたりきりの稽古になることをお話ししていたので、おそらくそれを心配してのアドバイスだったのでしょう。

「福島に帰ったら、なんとかしてひとに教える環境をつくったほうがいいよ。 師範技より上のことは、ひとに教えないと上手くならないからね」

 当時は「(はぁ……。そういうものなのかなぁ?)」と思っただけでしたが、今となると実に染み入る言葉に感じます。

 現在、八光流文武塾の生徒さん達も、初段位から四段位までと学習内容とレベルにかなり幅がでてくるようになりました。また、体格や体質・性別や性格などまったくことなる者達が一緒に稽古するなかで、それぞれに個別にその段位で学ぶべき内容・修正すべき点などを提示し取り組んでいただいています。

 こう書くと一見指導する側としては色々と個別に見極めなければならなそうで大変そうですが、実は大変だとか難しいとか感じたことがほとんどありません。

 なぜだろう?と振り返って考えてみると、それはやはり型稽古を主軸にしていたからなのだとわかりました。

 型を練習しているから、そのひとができないこと・課題のこと・今やるべきことを型が示し教えてくれていました。

 今まで私がなにか自分で理屈をこねくりまわして独自の新しい運動理論をひねり出す必要はありませんでしたし、ましてよそ様や他流の運動理論を借りて(パクって)きたりして指導する必要もありませんでした。

 八光流柔術に限ったことではありませんが、単独でしっかりと武道・武術として成立している流儀流派は、その型からその流儀で必要とされる身体の使い方は学べるようにできていると思います。
 八光流なら、その柔術の型と皇方指圧(皇法医学)の両輪をしっかり学ぶことで身体の使い方だけでなく運動理論をも学習できるようにつくられています。
 にもかかわらず、基本技型をよく学ばず、学ばないからわからないのに、そのわからないことを埋めるために安易によそ様の理論を借りてくるということをして、同じようなことをしていても八光流とはまったく似て非なるものをやっているというケースが、残念ながら実際に見受けられます。

 他流の経験があったり、運動を教えるお仕事や療術等で身体にたずさわる職業で皇法とはことなる理論を学んでいる方も多いかと思います。そのような方々も八光流の稽古の時間のうちだけでもけっこうなので、いったん今までの知識は心にしまって「なるほど八光流(や皇法医学)はこうなのか!」と虚心坦懐に新鮮な気持ちで学び、ご自分の知識の守備範囲内の理解とは分けてとらえて、ご自分の知識とは強引に結びつけない方がよろしいでしょう。
 逆に八光流門人がもし他流を学ぶさいも、他流の技を八光流と皇法の理論に安易に結びつけないほうが良いということも、決して忘れてはいけません。

 閑話休題。

 文武塾の生徒さん達が、型の示す各々の課題をひとつずつ修得して、順々にレベルアップして次の課題に進む様子を見ていて、型を黙々と自分一人の課題として取り組んでいた時とは、まるでくらべものにならないほどの学びを型から得ることができるようになりました。

 基本としてやっていたことが、いかに奥伝(師範技~皆傳技~三大基柱)のベースになっているのか?
 普段の基本技で、いかに自分個人の課題として奥伝の内容の基礎を掘り下げていくべきか?

 文武塾の生徒さん達が一歩一歩と上達する過程から、教えているようで実は私自身もたくさんヒントをいただき学んでいるのだと最近になり強く実感できてきました。

 私が勝手に私淑させていただいている、ある古参の名人の先生から以前に聞いた言葉を思い出します。

 曰く「先生なんて呼ばれるからさ、一応教えてるって格好つけてるけどね。 うちのひとたちが上手くなってくるとさ、こっちも勉強になるんだよね」 そう言って笑っていらした気持ちが、ちょっとだけわかってきたように感じています。

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テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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