型は変遷する1

 この柔術みちしるべでは、何度も文武塾は型稽古を重視していることを書いてきましたが、型についてはひとつ常に忘れてはならないことがあります。

 それは「型は時代の風潮や師範の個性、あるいは学ぶ者の資質によって変わっていく。唯一絶対永久不変の型はありえない」ということです。

 八光流柔術に限らず、どんな流派でも型によって伝承していく武道にはあてはまることと思います。たとえ過去の創始者や代表的名人の技をピークであるとみなしそれを型として残したとしても、それがまったく変わらずに純正な複製として伝承されてきた実例をいまだ知りません。
 
 ところで、私の師匠 中村泰峰先生の八光流柔術の直接の師匠は星 幽峰師範という先生で、初代宗家の著書『奥山龍峰旅日記』にも登場し、戦時中の本部が東京神田お玉が池にあった八光流講武塾時代には師範として初代宗家のもとで活躍していたことがうかがえます。
 戦争で福島に疎開してきた星先生は昭和30年代まで福島にお住まいで、その期間に中村先生は初段技から四段技までを星先生に学びました。 
 星先生のお住まいの引っ越し先を中村先生の奥様の伝手で手配したり、公私ともにお付き合いは深かったようです。
 星先生は中村先生に師範を取得させたかったそうですが、ちょうどお子様の進学などにお金のかかる時期に重なってしまい辞退されたそうです。たいへん残念がられた星先生は中村先生に、ご自分の師範バッチ(現在のShihanと書かれたものではなく漢字で師範と浮彫された古いデザインのもの)の師範の文字を削り落として譲ってくだっさたそうで、私も一度じかにに見せていただいたことがあります。
 また、大宮で八光流本部が再興し初代宗家から呼ばれて星先生が関東に戻られる際、星先生の道場の看板は中村先生に託されました。後に中村先生が師範になられて道場を始めたとき、この看板に中村先生の名前等を書き加え受け継がれて現在も先生のご自宅兼道場にかかっています(注:ご高齢のため現在柔術の指導はしておりません)。
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 そのような想いいれもあってか、師匠が私に叩き込んだのは星先生が教えた戦時中ごろの古い技の型だったのです。
 そんなこととは露知らず、ときどき武道雑誌に八光流が特集される度に、掲載される型の写真が自分の学んでいるものとかなり違うところがあるので、……なんでだろう?とずいぶん不安になることもありました。

 入門から六年半ほどたって、ついに師範許可取得のために本部に向かう直前、師匠から「技、ちょっと変わってると思うけど、まぁ、たぶん大丈夫だから」と言われ送り出されました。

 最高潮にドキドキしながら訪れた初めての八光流本部。
 現宗家直々の師範教伝が始まり、師範技の八光捕、手鏡から腕押捕へとすすみ、

宗家「一般技の腕押えでは……こうだったけど、師範技は……こうなるんだよ!」

 …………

私「!?(一般技からして、まったく違う!!)」

 あせりました。

 とにもかくにも、宗家より教えられることに必死で喰らいついて、その後の休憩時間に宗家ご子息の貴士先生に「実は中村先生に習った技と、ずいぶん違うところが色々ありまして……」と正直に告白しました。
 幸いなことに、貴士先生は古い技から現在の技までの変遷についての造詣がたいへん深く快く相談にのってくださり、この後も折に触れ貴重な示唆をいただけるようになりました。

 (これは……、ひとまず本部の一般技をちゃんと把握しないと今教わっている師範技の意味がわからなくなる。 かなり不味いぞ!!)

 危機感がどっと湧き上がってきました。
 そこで一念発起して、四泊五日の師範教伝塾泊期間の一般通常稽古の時間も片っ端から本部の師範に稽古をお願いして初段技から四段技まで超特急で学びなおしました。

 頑張り過ぎて福島に帰るときに大宮駅で土産を買おうとしたら、両手首ともにいかれてしまっていて、手首が曲がらない・回らないために財布から小銭が出せず、痛みでくぐもった声でキヨスクのお姉さんに謝りながら難儀しつつ代金を支払った事などは今となっては良い想い出です。

 しんどい思いをしましたが、この時の収穫は単に新しい型を憶えたということに止まりませんでした。
 本部の今様の型を学び根本の理合についての理解が深まった効果で、師匠に学んだ古い技の内でずっと難しいと感じていた技のいくつかが、嘘のように簡単にできるようになったのです。今様の型が私には相性が良かったようです。

 この時の経験で、技・型が変わるということは変わるだけの理由がきっとあるのだの思いました。

 師匠や古参の先生方が学んだ頃のように、ひたすら素直にまっすぐ学べば直に目が開けた頃と違い、情報過多で理屈っぽい現代人(私などはその典型)に向けて懇切丁寧に伝えることができるように型が変わってきたのだと感じます。

 また世相が粗っぽかった戦中・戦後初期とは違い、技の厳しさ(痛さ)も少しずつうすれ、マイルドになってきているように思います。峻烈とした痛さの技のままだったとしたら、現在までどれだけ流派の命脈をつなげたかは定かではありません。
 実際のところ、私の同門はあまりにも技が痛いためにほとんどが二段技でやめてしまいました。三段技まですすんだのもごく数人。そのひとたちも痛さに音をあげてやめてしまいました。
 結局、星 幽峰→中村泰峰とつないできた星先生の技を継いだ師範は私しか誕生しませんでした。

 そして、これからも技・型が変わらないとは言えません。

 『胸の棄力』でも触れましたが、猫背は国民病のようになりつつありますし、パソコンやスマートフォンなどの普及にともない二十数年前とは比べものにならないほど腱鞘炎やストレートネックも増えました。肩や肘や腕の力を抜くだけのことすら筋肉や靭帯が強張ってすぐにできないひとも増えるかもしれません。

 さらには、私は自分のことを師匠や古参の先生方にくらべてなんと軟弱なのだろうと不甲斐無く思ってきましたが、現代の子ども達の運動の得意な子と苦手な子の身体能力の差は私の不甲斐無さどころの話ではなくなってきているようです。

 そうなったとき、「万人のため・弱者のための八光流」と謳ってきた八光流柔術はいかにあるべきでしょうか?

 どう変わっていくべきで、なにを変えてはいけないのか?

 これからの課題ですね。そしてそれを解く鍵はやはり『挑まず逆らわず傷つけず』の三大原則にあると思います。

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テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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