姿勢と技3

 平田内蔵吉師の皇法医学(心療術や心療法とも)から初代奥山龍峰宗家の皇法指圧および八光流柔術への発展の過程で、初代宗家により研究工夫されたと思われる点について。

 私見ですが、それは肚の養成法を八光流柔術という一つの階梯に編纂集約したことではないかと思います。

 平田師も初代宗家もその著書からは、身体を強健にし、病気を予防し、またすでに病気をえてしまった者には病気と闘う、あるいは病気と上手く付き合っていく気力と活力の根源を、肚の養成による腰腹同量の中心力に求めていたという点については同じであったと読み取れます。

 しかし平田師が自身の研究の過程で肚の養成法について、

中心正坐法
中心強健術
経絡式中心錬磨法
経絡式中心操練法(国民体育)
…………

などなどを考案していったものの、初代宗家はその中から

正息の法(腹圧養成法)
護身体操

のように若干の改良を加えて残した物もあるものの、それらはあくまでも副次的なものに過ぎず、根幹として肚の養成法と位置づけたのは八光流柔術そのものでした。

 試みに、中心正坐法を簡単に紹介しますと一定の効果(『意思』と『情緒』の統合。八光流および皇法指圧では動物性神経と植物性神経の統合に相当する)をえるために、しかるべき姿勢と呼吸法で毎日一回は五十分間静粛に正坐することを、一ヶ月は続ける必要があるとあります。

 ……どうにも私には三日坊主の壁を越えられる気がしません。

 他の平田師考案の養成法もシンプルでなるほどなと感心することも多いのですが、シンプルであるが故に飽きやすく効果を実感できるまでずっと施行していくのが難しそうだと感じる物が多いと思うのです。

 なにかの空き時間にちょちょっと実行するにはまったく抵抗はないのですが……。

 対して八光流柔術はどうでしょうか?

 仲間で集って和気あいあいと笑いながら稽古して、一喜一憂しながらも着々と上達の実感もえられるので飽きずに、むしろ益々興味もつのっていくのでモチベーションも保ち続けながら、長い目で見れば結果的には楽しみながら肚の養成も可能となっているのだと感じますので、初代宗家が肚の養成には八光流柔術だけで事足りると考えたことにも共感できるのです。

 しかも、身体の不調や心の停滞だけでなく、直接的に暴力からも身を護れるという身体・心・対暴力の三つの護身をかねているわけで、八光流柔術が『護身道』と豪語するのも伊達ではないとわかります。

 一つ留意点として、初代宗家が八光流柔術の習技(型稽古)について、どのような見解をもっていたのかを知るために、前回引用した文をもう一度続きまで含め引用してみます。

 「(全身の力を抜き肚を正中心とする)この境地に尤も入り易いのは、柔八光流の習技に限る。

暴漢は全身を実にするが、そんな敵前に於ても、全身を虚に、すっかり力を抜かねば、八光流の神技は発揮しないのである。

効かないから、積極的に力を棄てる。

それで腹圧養成の準備は完了する。」
――――『新易診断法』【腹圧養成法の秘訣】より

 この一文から察するに、八光流柔術の習技における掛の役割は『やられ役』ではなく、しっかりと暴漢として『攻める役』だということがわかります。

 型では取は手首を掴まれるなり身体のどこかを押さえつけられるなり、掛が実となって準備万全に攻めてきた取にとって絶対的に不利な状況がスタートという想定がとても多い。

 力ではもうどうしようもないまで追い込まれたところをから始まるがために、力を棄てることの必要性に直面するということが、直接的に肚の養成につながっています。

 このことから本来の八光流柔術の型稽古では、掛(受方)は取(仕方)の技の動きを感じとってやわらかく受けをとるというような、二人で行うボディーワーク的な感性の稽古をしていたわけではないことはご理解いただきたいと思います。

テーマ:武道・武術 - ジャンル:スポーツ

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